大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成2年(行ケ)47号 判決

原告

東レ株式会社

被告

大日本インキ化学工業株式会社

財団法人川村理化学研究所

主文

特許庁が昭和六一年審判第二二二七号事件について平成元年一二月六日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文と同旨の判決

二  被告ら

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

被告らは、発明の名称を「難燃性樹脂組成物」とする特許第一〇〇五〇八一号(昭和四八年一月二五日出願、同昭和五四年一一月三〇日出願公告、同五五年六月三〇日設定登録、以下「本件発明」ないし「本件特許」という。)の特許権者であるところ、原告は、昭和六一年二月一〇日、本件特許について特許無効の審決を請求した。これに対し、被告らは、昭和六一年七月二九日、訂正審判の請求をし、同六二年二月三日、特許審判請求公告第六一六号として請求公告がされた。そこで原告は、昭和六二年四月二二日、訂正異議の申立てを行ったところ、平成元年一一月一六日、右訂正異議の申立ては理由がない、とする決定がされ、右決定書謄本は、平成二年一月二九日、原告に送達された。一方、前記無効審判請求は、昭和六一年審判第二二二七号事件として審理された結果、平成元年一二月六日、右請求は成り立たない、とする審決がされ、右審決書謄本が昭和六一年六月二四日付けで被告らが無効審判請求事件において提出した審判事件答弁書と共に平成二年一月二九日、前記訂正異議申立てに対する決定書謄本と同時に原告に対して送達された。

二  本件発明の要旨

「エチレン、プロピレン、ブチレン、ペンテン、ブタジエン、イソプレン、クロロプレン、スチレン、α-メチルスチレン、酢酸ビニル、アクリル酸エステル、メタクリル酸エステル、メタアクリロニトリルの単独重合体又は共重合体、ポリウレタン系高分子、ポリアミド系高分子、ポリエステル系高分子、ポリアセタール、セルロース類、エボキシ樹脂から選ばれる有機高分子化合物に、分子中にフェニレンサルファイド結合を有し、融点一〇〇℃以上、熱分解温度二五〇℃以上、硫黄含有量一〇%以上を有する化合物を添加してなる難燃性樹脂組成物。」

三  審決の理由の要点

1  本件発明の要旨

前項に記載のとおりである。

2  請求人(原告)の主張

本件発明は、①引用例一(米国特許三三五四一二九号明細書、審決甲第一号証、本訴甲第三号証)、同二(米国特許第三五五五一〇八号明細書、同第二号証、本訴甲第四号証)、同三(米国特許第三四八七四五四号明細書、同第三号証、本訴甲第八号証)、同四(米国特許第三六二二三七六号明細書、同第四号証、本訴甲第九号証)、同五(特開昭四七-六五八六号公報、同第五号証、本訴甲第五号証)及び同六(米国特許第三四六八七〇二号明細書、同第六号証、本訴甲第六号証)に記載されている発明であるから特許法二九条一項に該当する。②に引用例七(特願昭四八-五二〇八三号出願、審決甲第七号証)に記載の発明であるから同法二九条の二に該当する。③引用例一ないし六及び同八(米国特許第三六九五二七六号明細書、同第八号証、本訴甲第七号証)に基づいて当業者が容易に発明することができたものであるから同法二九条二項に該当する。

したがって、同法一二三条一項一号により、本件特許を無効とすべきである。

3  請求人の主張に対する判断

a ①及び③の主張について

引用例一には、ポリフェニレンサルファイドの製造法及びポリフェニレンサルファイドは他の重合体とブレンドすることができること、引用例二には、分枝ポリフェニレン類、ポリフェニレンオキサイド、ポリフェニレンサルファイド、ポリベンズイミダゾール、該芳香族重合体の混合物から選ばれた溶融性で従順な芳香族重合体類と硬化剤との混合物を加熱して溶・融解性芳香族樹脂組成物を製造すること、引用例三には、ポリフェニレンサルファイド樹脂と〇・五ないし一〇重量%のポリテトラフルオロエチレンからなる組成物、引用例四には、ポリフェニレンサルファイドに対して〇・五ないし五〇重量%のフッ素含有有機重合体を混合したコーティング組成物及び具体的には、ポリフェニレンサルファイドに対して〇・五ないし五〇重量%、好ましくは五ないし二〇重量%のポリテトラフルオロエチレンを混合した組成物、引用例五には、ゼログラフィの絶縁性樹脂組成物としての樹脂にポリスルホン、アクリレート、ポリエチレン、スチレン、ジアリルフタレート、ポリフェニレンスルフィド(ポリフェニレンサルファイドと同義であり、以下においては「ポリフェニレンサルファイド」を原則として使用する。)、メラミンホルムアルデヒド、エボキシ、ポリエステル、ポリ塩化ビニル、ナイロン、ポリフッ化ビニル及びその混合物からなる群からなる選ばれる物質を用いること、引用例六には、ポリアリーレンサルファイド、芳香族ポリビニル、ハロゲン化ポリビニル、ハロゲン化ポリビニリデン、ポリアセタール、ポリカーボネート、ポリビニルエステル及びそれらの混合物からなる成型品が静電性を有すること、引用例九(J. Polymer Sci.,7,2955~2967[1969]審決甲第九号証)には、ポリ(一、四-フェニレンサルファイド)が二八二℃と二八八℃の融点範囲を有し、三五〇℃で熱分解が始まり、約五〇〇℃で急激に分解が進み、硫黄含有率が二八・六%であること、がそれぞれ記載されている。

しかし、本件発明の特定のフェニレンサルファイド結合を有する化合物を特定の高分子有機化合物に添加して難燃性樹脂組成物とすることについての記載はなく、特定のフェニレンサルファイド結合を有する化合物と特定の有機高分子化合物との樹脂組成物についての具体的な記載もない。

また、引用例八には、ポリフェニレンサルファイドが難燃性であることは記載されているが、他の樹脂を難燃化することについての記載あるいは示唆はない。

一方、本件発明は前記の構成により明細書記載の優れた効果が得られるものと認められる。

したがって、本件発明が引用例一ないし六に記載された発明であるとは認められないし、右各引用例八の記載に基づいて当業者が容易に発明することができたものとすることはできない。

b ②の主張について

引用例七には、流れ特性を改善するためにビニルオリゴマーをポリサルファイドその他の熱可塑性樹脂に添加した混合物の記載はあるが、ビニルオリゴマーとポリサルファイドとを具体的に混合したものはなく、また、混合により難燃性組成物にすることについての記載もない。一方、本件発明は、特定のポリサルファイド化合物を特定の有機高分子化合物に添加することにより難燃性樹脂組成物とするものであって、かかる構成により明細書記載の優れた効果が得られたものと認められる。

したがって、本件発明は引用例七記載の発明とは認められない。

c 以上のとおりであるから、本件特許を無効とすることはできない。

なお、請求人は、本件特許明細書の記載からみて、本件発明においては、フェニレンサルファイド結合を有する化合物の使用量の上限はないと主張するが、本件発明は、特定のフェニレンサルファイド結合を有する化合物を添加することにより特定の有機高分子化合物を難燃性樹脂組成物とするものである以上、その添加量は難燃化のための添加剤としての常識的範囲内であって、フェニレンサルファイド結合を有する化合物の添加量に上限がないものとは認められないので、請求人の主張は採用できない。

四  審決の取消事由

審決の理由の要点1、2は認める。同3aのうち、引用例一ないし六及び同八、九の各記載内容は認めるが、その余は争う。同3bは認める。同3cは争う。審決は、各引用例から本件発明の新規性及び進歩性の判断を誤ったばかりか、審判手続にも重大な手続違反があり、違法であり、取消しを免れない。

(主位的取消事由)

1 新規性の判断の誤り(取消事由(1))

(一)(1) 引用例一には、「本発明は芳香族化合物からの重合体の製造に関する。その見方の一つとして、本発明は少なくとも一つのポリハロ置換環状化合物とアルカリ金属サルファイドを極性有機化合物から反応媒体中で反応することによるアリーレンサルファイド重合体の製造に関するものである。」(訳文一頁五行ないし八行)との、また、「本発明の重合体は、高融点およびまたは耐高温性が所望されるあらゆる用途に用いられる。これらの重合体は充填剤、顔料安定剤、柔軟剤、展開剤および他の重合体をブレンドすることができる。グラファイト、カーボンブラック、チタニア、ガラス繊維、金属粉、マグネシア、アスベスト、クレイ、木粉、コットンフロック、アルファセルロース、雲母などのような充填剤を用いることができる。」(訳文七頁二七行ないし三一行)と、それぞれ記載されているのであるから、本件発明の難燃化のための代表的な化合物であるアリーレンサルファイド重合体に「他の重合体」あるいは「アルファセルロース」を混合し得ることが記載されているのである。そして、本件発明における有機高分子化合物にはアルファセルロースが含まれているのであるから、引用例一には、混合の主従は逆転しているものの、本件発明でいうところの難燃化剤、すなわち、アリーレンサルファイド重合体に、有機高分子化合物、すなわち、アルファセルロース等を混合するという本件発明の構成がそのまま記載されているのである。

なお、本件発明の「分子中にフェニレンサルファイド結合を有し、融点一〇〇℃以上、熱分解温度二五〇℃以上、硫黄含有量一〇%以上を有する化合物」と、ポリアリーレンサルファイド及びポリフェニレンサルファイドとの関係は以下のとおりである。ポリアリーレンサルファイドは、ポリフェニレンサルファイドの上位概念であり、ポリアリーレンサルファイドの代表的なものがポリフェニレンサルファイドであって、ポリアリーレンサルファイドといえば、ポリフェニレンサルファイドによって代表されるというのが業界における常識であったのである。このことは、引用例一において、ポリアリーレンサルファイドの製造に関するものであるとしながら、その実施例の殆どはポリフェニレンサルファイドであることからも明らかであり(例えば、実施例XXVにおいては、NMP(N-メチルピロリドン、前掲甲第三号証訳文一三頁六行参照)中でp-ジクロロベンゼンと硫化ナトリウムとの反応生成物を前記のような充填剤と混合して使用する例が示されているところ、p-ジクロロベンゼンと硫化ナトリウムが反応するとポリフェニレンサルファイドが生成することは明らかなところである。)、また、甲第一〇号証によれば、本件発明に係る出願の当時、ポリフェニレンサルファイドが「Ryton」という商標で市販されていたのであり、ポリフェニレンサルファイド以外のポリアリーレンサルファイドが商業的な規模で生産販売されたいたことはない。

次に、最も典型的なポリフェニレンサルファイドであるポリーパラーフェニレンサルファイドが本件発明の前記化合物の要件を満たすか否かについてみると、甲第一〇号証二七頁最下欄九行ないし一六行には、「結晶性の芳香族ポリマーであるポリフェニレンスルフィドは、バラ置換ベンゼン環とイオウ原子の反復した、均斉のとれた硬質のバックボーン連鎖を有する。

・・・(構造式省略)・・・

そして、この化学構造のために、ポリマーは高融点(二八八℃)をもち、耐薬品性、熱的安定性、耐炎性がすぐれている。」と記載されている右「ポリフェニレンスルフィド」は、その構造式からすると、ポリーパラーフェニレンサルファイドを示すことは明らかであるから、結局、右甲号証の記載は、ポリフェニレンサルファイドの融点は二八八℃であることを示している。また、甲第一五号証(「ジャーナル オブ ポリマーサイエンス」七巻二九五五ないし二九六七頁〔一九六九年〕)には、「結果と考察 ポリ(一、四-フェニレンサルファイド)背景説明・・・灰色の重合体は熱ジフェニルエーテル中に少し融解するだけであり、二八二℃と二八八℃の間の融解範囲と2×103ボイズの融解粘度を有していた。」との記載(二九五五頁下から九行ないし一行)があり、右「ポリ(一、四-フェニレンサルファイド)」は、ポリーパラーフェニレンサルファイドと同義であるから、右記載はポリフェニレンサルファイドの最も典型的なポリーパラーフェニレンサルファイドの融点が二八二ないし二八八℃であることを示している。そして、ポリフェニレンサルファイドの重合度によって融点が異なることを考慮したとしても、通常、ポリーパラーフェニレンサルファイドの重合度は約一〇〇以上であるから、すべてが一〇〇℃を越える融点であることは明らかである。

次に、熱分解温度についてみると、前記のとおり融点が二八二ないし二八八℃であることからすると、その熱分解温度が少なくとも二五〇℃以上であることは明らかである。

さらに、硫黄含有量についてみると、右含有量はポリフェニレンサルファイドの化学構造式から計算可能であり、これによれば、約二九・六%であることは明らかである。

したがって、ポリフェニレンサルファイドといえば、通常ポリーパラーフェニレンサルファイドを指すから、ポリフェニレンサルファイドが、本件発明に係る前記化合物の融点一〇〇℃以上、熱分解温度二五〇℃以上、硫黄含有量一〇%以上との要件を満たす化合物であることは明らかである。

(2) 引用例五には、本件発明の難燃化剤の代表であるポリフェニレンスルフィドが本件発明で特定された有機高分子化合物であるアクリレート(アクリル酸エステルに同じ)、ポリエチレン、スチレン、エボキシ、ポリエステル、ナイロンなどの樹脂と混合して使用され得ることが記載されており、引用例六には、本件発明における難燃化剤の代表例であるポリアリーレンスルフィドが本件発明で特定されている有機高分子化合物である芳香族ポリビニル(ポリエステルの上位概念)、ポリアセタール、ポリビニルエステル(ポリ酢酸ビニルの上位概念)などの樹脂と混合して使用されることが記載されており、いずれも本件発明と同一の構成が示されている。

(二) 本件発明のように、特定の有機高分子化合物に特定の添加剤を添加して難燃性樹脂組成物を得るという発明の場合、以下に述べるように、得られる組成物の効果(性質)が記載されていなくても、発明が記載されていることになるのであり、上記引用例の前記各記載で本件発明が開示されているものと解することができるのである。

すなわち、発明の内容(構成)が記載されている場合、その効果の記載がなくても原則として発明は記載されたものと解すべきである。

たとえ、既になされた発明について、新たな効果を認識したとしても、本件発明のような単に組成物の性質を記載したにすぎない発明にあっては、その効果が、その発明に必然的に付随しているようなものであれば、いわば既に存在する効果の発見にすぎず、これによって別の発明が成立するものではない。

また、本件発明の奏する難燃性の効果は、以下のとおり自明であるから、本件発明が前記各引用例に記載されているものと解することができる。すなわち、引用例七には、ポリフェニレンサルファイドでタバコのパイプを作ったとき「遭遇する温度で燃焼も分解しない。」との記載があり、右記載からすると、ポリフェニレンサルファイドがタバコの火に対して燃えないことは自明であるから、これを充填剤として、アルファセルロース又は他のポリマーに混合した場合、アルファセルロース又は他のポリマーが難燃性を示すことも自明といわざるを得ない。なお、ポリフェニレンサルファイドが燃えにくい性質を有することは、本件発明の出願当時の当業者の技術常識であり、このことは、甲第一〇号証(昭和四六年四月一五日発行「ラバーダイジェスト」一九七一年四月号二七ないし三〇頁)に、「結晶性の芳香族ポリマーであるポリフェニレンスルィドは、・・・耐薬品性、熱安定性、耐炎性がすぐれている。」と記載されており、ポリフェニレンサルファイドが耐炎性に優れていることは、本件発明の出願当時における当業者の技術常識であったのである。

したがって、引用例一、同五及び同六には、本件発明と同一の構成が記載されており、かつ、その性質は自明であったのであるから、本件発明は右各引用例に記載されていたものである。

2 進歩性判断の誤り(取消事由(2))

前述したとおり、引用例一には、ポリフェニレンサルファイドに「他の重合体」あるいは「アルファセルロース」を混合し得ることが記載されており、また、引用例五、六にはポリフェニレンサルファイドとポリエチレン、ポリスチレンなどの有機高分子化合物との混合物を用い得ることが記載されており、本件発明には添加剤の使用量、つまり、ポリフェニレンサルファイドの混合割合の規定はないから、右各引用例には、本件発明における特定の化合物(添加剤、ポリフェニレンサルファイド)を特定の有機高分子化合物に添加した混合物(組成物)までは記載されていることになる。確かに、その混合物(組成物)が難燃性樹脂組成物であるという明示はないが、引用例七には、前項に述べたとおり、ポリフェニレンサルファイドがタバコの火に対して燃えないと明記されており、また、甲第一〇号証には、高融点(二八八℃)をもち、耐薬品性、熱的安定性、耐炎性が優れている「ポリフェニレンスルフィド」が開示されていることは前項に述べたとおりであるから、ポリフェニレンサルファイドが耐炎性を有することは、本件発明の出願当時における当業者の技術常識であり、当業者であれば、右各引用例及び甲第一〇号証に記載のポリフェニレンサルファイドの混合物(組成物)が難燃性を有し、ポリフェニレンサルファイドが混合されたことによって燃えにくい樹脂組成物になることは容易に想到可能である。

(予備的取消事由)

3 本件審判手続における手続上の瑕疵(取消事由(3))

特許庁における本件無効審判請求の手続の経緯は前記請求の原因一に記載のとおりであるが、右手続には以下に述べるとおり、重大な瑕疵があり、違法であるから、審決は取消しを免れない。

すなわち、本件無効審判請求においては、無効審判手続の係属中に、訂正審判により本件発明の特許請求の範囲に記載された「有機高分子化合物」を前記「本件発明の要旨」記載の特定の有機高分子化合物に減縮した結果、無効審判の対象が変更したにもかかわらず、変更後の審判の対象について、当事者双方に弁論の機会を与えることなく審決がされたものであるから、違法であり、取消しを免れない。

第三請求の原因に対する認否及び反論

一  請求の原因に対する認否

請求の原因一ないし三は認めるが、同四は争う。

二  反論

1  取消事由(1)について

(一)(1) 原告は、引用例一に本件発明の構成が開示されていると主張するが、失当である。すなわち、まず、同引用例は「芳香族化合物」からの重合体の製造方法に関する発明であり、製造物の中には「ポリアリーレンサルファイド」が含まれることが記載されているが、ポリアリーレンサルファイドは本件発明に係るポリフェニレンサルファイドよりも上位の化学名称であり、例えば、ナフチレン基と硫黄原子の結合した構造を有する化合物はアリーレンサルファイドには属するがフェニレンサルファイド結合を有する化合物に該当しないように、ポリアリーレンサルファイドが必ずしも本件発明における「ポリフェニレンサルファイド結合を有する化合物」に該当するものではない。なお、引用例一の実施例において、p-ジクロロベンゼンと硫化ナトリウムを反応させた場合、ポリフェニレンサルファイドが生成することは認めるが、かかる実施例は実質的には僅かに一種類が示されているにすぎないから、引用例一のアリーレンサルファイドの意義を実質的にポリフェニレンサルファイドに限定しようとする原告の見解は相当ではない。また、引用例一には、硫黄含有量がどの程度かについても何ら具体的な記載はない。さらに、右引用例には「これらのポリマーは、充填剤、顔料安定剤、柔軟剤、伸展剤及びその他のポリマーとブレンドすることができる。」との記載があるが、「他のポリマー」についての具体的な記載はなく、しかも、単に「ブレンドすることができる」との記載は単なる混合の可能性を示すのみであるから、単なる付加的な記載であり、例文的な記載と解するのが相当であり、この記載から本件発明の特定の高分子化合物と良好に混合し得ることが記載されているとすることはできない。また、原告は引用例一の「アルファセルロース」は本件発明の有機高分子化合物と一致すると主張するが、この主張も失当である。すなわち、一般に有機高分子化合物という場合、広義においては「天然物」と「合成物」の両者を含むが、工業生産の分野においては「合成物」を意味する場合が多い(乙第三号証一一六六頁、同第一〇号証七七七頁参照)。したがって、本件発明における「有機高分子化合物」がいずれを含むのかについては慎重な検討を要するが、以下に述べる点からすると、「合成物」を意味するものと解するの相当であり、したがって、本件発明における有機高分子化合物に引用例一の天然物である「アルファセルロース」が含まれる余地はない。すなわち、本件発明の有機高分子化合物は、明細書の記載(甲第二号証一頁右欄末行、二頁左欄三〇行、同頁右欄四行)からも明らかなように、塑性成形加工の対象となる有機高分子化合物、すなわちプラスチック素材としての有機高分子化合物に難燃性を付与するために、フェニレンサルファイド結合を有する特定の合成物に右有機高分子化合物を添加して「難燃性樹脂組成物」を得ることを目的としているものであるから、本件発明の有機高分子化合物がこのようなプラスチック素材として用いられる化合物であることは、一見して当業者に明らかである。したがって、本件発明の有機高分子化合物である「セルロース類」はプラスチック素材として用いるセルロース類、例えばセルロイドやセルロースエステル等の化合物を意味するものであることは、本件明細書の全趣旨から明らかである。これに対し、引用例一の「アルファセルロース」は天然物質から抽出された状態のセルロースであって、そのままでは本件発明の前記有機高分子化合物に該当しないことは明らかである。したがって、右「アルファセルロース」は本件発明における「セルロース類」に含まれない。

また、引用例一には前記のとおり、「・・・ブレンドすることができる。」と記載されているところ、「黒鉛」を除いては実際の混合例が示されているわけではないから、仮に「アルファセルロース」が本件発明の「セルロース」に含まれるとしても、本件発明と同一構成の難燃性樹脂組成物を開示しているものではない。

以上のように、引用例一には、本件発明の組成物に含まれるべきいずれの成分も具体的、確定的に示されていないことは明らかである。

(2) 引用例五及び六に本件発明の構成が開示されているとの主張は否認する。

(3) 原告は、引用例七のポリフェニレンサルファイドでタバコのパイプを作ったとき「遭遇する温度で燃焼も分解しない。」との記載からすると、本願出願前における当業者にとって、ポリフェニレンサルファイドが不燃性の樹脂であることは明らかであったと主張する。しかし、右引用例に記載されている物質はポリアリーレンサルファイドであり、ポリアリーレンサルファイドがパイプの素材として燃えることなく用いられるという記載だけからポリアリーレンサルファイドが一般的な難燃性物質であることを確知することはできない。また、右引用例のパイプにおいて用いられている素材は、ポリアリーレンサルファイド単独ではなく、ポリアリーレンサルファイドと不燃性の無機物であるアスベストなどとの混合物であり(甲第七号証一欄四九行~五二行)、ポリアリーレンサルファイドをアスベストやガラスのような無機物質と等量に混合すれば、燃えにくい組成物が得られるのは当然のことである。以上のように、引用例七には、ポリアリーレンサルファイドが一般的な意味で難燃性物質であることが明記されているわけではない。また、同引用例の実施例においてポリフェニレンサルファイド五〇%と不燃物質であるペーパーアスベスト五〇%の等量混合物からなるパイプが示されているが、この実施例からポリフェニレンサルファイドの不燃性が明らかになるものではないし、右ポリフェニレンサルファイドが本件発明における特定の条件を満たしたポリフェニレンサルファイドか否かも不明である。そして、右のポリフェニレンサルファイドと無機物資との混合組成物を用いて製作したパイプは「煙を冷たくし、かつ掃除し易い」との効果を奏するが、何故に右のような効果が得られるかについては良く分からないという記載に尽きるものである。したがって、右引用例には、ポリアリーレンサルファイドが不燃性を有するとの一般的性質が開示されているものではないから、当業者にとって、本願出願前にポリアリーレンサルファイドが不燃性の樹脂であることが明らかであったとは到底いえない。のみならず、引用例七には、前記のとおり「(喫煙の際の)遭遇温度では燃えたり分解したりしない」と記載されているに止まるから、本件発明におけるような「難燃性」を示したものではない。すなわち、有機高分子化合物(プラスッチク素材)の「難燃性」は、我が国のJIS規格や米国のASTM基準に定められているように特定条件下で炎にさらされても燃えず、自己消化性を示すか否かよって判定されるものであり(乙第四号証、同第六号証参照)、このことは本件特許明細書においても、ASTM基準による判定結果が示されていることからも明らかである(甲第二号証四頁左欄二六行ないし三一行参照)。しかるに、引用例七における前記の記載においては、いかなる条件下で燃えにくいのか明らかではないから、右記載において、前記の難燃性に係る特定条件下での自己消化性を示したものと解することはできず、本件発明における難燃性を開示したことにはならないのは当然である。

原告は、ポリフェニレンサルファイドの難燃性を証明するために甲第一〇号証を援用するが、右甲号証は本訴において新たに提出された公知文献であるから、これに基づいて本件発明の新規性ないし進歩性の欠如を主張することは許されないというべきである。仮に、右甲号証の援用が許されるとしても、右甲号証の記載からポリフェニレンサルファイドの難燃性が周知であるということはできない。なるほど、甲第一〇号証にはポリフェニレンサルファイドは耐炎性が優れているとの記載があるが、耐炎性の程度については全く記載がなく、したがって、ポリフェニレンサルファイドが難燃性樹脂組成物の添加剤として有用な程度の難燃性を具えていることが右甲号証に記載されているとすることはできない。のみならず、右甲号証には、ポリフェニレンサルファイドと元々不燃性である無機物質との混合物について主として記載されているのであるから、実質的には、ポリフェニレンサルファイドと他の不燃物質との混合物について記載した文献であり、この文献からポリフェニレンサルファイド自体の難燃性が周知であったとすることはできない。

(二) 本件発明は、「組成物」に関する発明ではあるが、単なる成分の組合せのみを対象とした組成物発明ではなく、いわゆる「用途発明」に属するものであり、組成物発明の審査基準に従うならば、「用途の総括的表現として把握される性質によって限定される組成物」又は「性質限定組成物」に関する発明である。かかる発明においては、特許請求の範囲に記載の組成物の性質や用途も発明の構成事項であると解されるから、本件発明においては、特許請求の範囲に記載の組成物の成分に関する事項のみならず、「難燃性樹脂組成物」との記載も本件発明の構成を成すものであり、たとえ、刊行物に本件発明の組成物と同一の成分からなる構成が開示されていたとしても、右組成物が「難燃性」であることが明記されているか、又は難燃性を有することが当業者にとって当然の自明事項でなければ、右刊行物に本件発明の構成が開示されていることにはならないのである。ところが、原告指摘の各引用例には、そこに記載のアリーレンサルファイド等が難燃性を示すとの記載はない。したがって、本件発明の成分と同一の成分が記載されていることを理由として本件発明の構成が開示されているとする原告主張は、この意味においても失当である。

2  取消事由(2)について

原告は、本件発明の各成分の組合せが引用例一、同五、及び同六に開示されていることを前提とした上で、甲第一〇号証又は引用例七にポリフェニレンサルファイドが難燃性であるとの記載があるとして、右各刊行物の記載に基づいて当業者は本件発明を容易に想到することは可能であると主張するが、右主張は以下のとおり失当である。

まず、本件発明において特定されている成分の組合せが右各引用例に開示されていないことは、既に前項に述べたとおりであるから、原告の右主張は既にこの点において前提を誤るものというべきである。また、既に述べたように、引用例七にはポリアリーレンサルファイドと特定の無機物質を混合した組成物がタバコの熱によっては燃えたり、分解したりしないことが記載されているのみであり、ポリアリーレンサルファイド自体の難燃性が記載されているものではなく、甲第一〇号証については前述したとおりであるから、いずれの点においても原告の前記主張は失当である。

3  取消事由(3)について

本件無効審判手続において、訂正審決によって変更された無効審判の対象について、改めて原告に弁論の機会を付与することなく審決がなされたとしても、以下の事情に照らせば、審決に影響を及ぼすべき瑕疵が存在しないことは明らかである。すなわち、原告は、本件訂正審判手続において、訂正後の本件発明の特許性の有無について、本件無効審判の主張、立証を無効審判の対象の変更に応じて修正したものに匹敵する程度に詳細かつ十分に行ったものであり、本件審決は、このような原告の主張・立証を考慮した上で訂正異議の決定を行い、訂正を認容したものである。原告は、本件訂正審判の請求公告に対し、昭和六二年四月二二日訂正異議の申立てをし、訂正異議の決定がされた平成一年一一月一六日までの間に、訂正後の本件発明が特許を受けることができないものであること、訂正後の本件発明の明細書が不備であること、仮に訂正が認められたとしても、本件特許には無効事由があることを詳細に主張・立証したものであり、右異議手続において提出した証拠には、本件無効審判手続において実質的に意義のあるものとして提出された甲第三号証(引用例一)、同第六号証(同六)及び同第七号証(同七)が含まれているのである。ちなみに、訂正異議手続においては提出されなかったが、本件無効審判手続において提出されたものとして甲第四号証(引用例二)、同第五号証(同五)、同第八号証(同三)及び同第九号証(同四)並びに審決甲第七号証があるが、原告の主張・立証活動からすると、これらはいずれも訂正後の本件発明に対する攻撃方法として実質的な意義を有するものとはいえず、この点からみても、訂正異議手続における原告の主張・立証は、訂正後の本件発明の無効事由攻撃のための無効審判主張・立証を修正したものと実質的に全く同じものであり、仮に訂正審決がされた後、本件無効審判の対象の変更に伴う主張・立証の修正の機会が原告に付与されたとしても、訂正異議手続における主張・立証の蒸し返しになることは必定である。

したがって、本件審判において、訂正審決によって変更された無効審判の対象について改めて当事者双方に弁論の機会を付与することなく審決がなされていても、審決に影響を及ぼすべき瑕疵は存在せず、少なくとも、審決を取り消すべき程の違法性は存在しない。

第四証拠

証拠関係は書証目録記載のとおりである。

理由

第一  請求の原因一ないし三は当事者間に争いがない。

第二  主位的取消事由について

一  本件発明の概要

成立に争いのない甲第二号証(本件発明の訂正明細書)によれば、本件発明の概要は以下のとおりと認められる。

従来、有機高分子化合物用の難燃剤としては、臭素化アルキルを主体とした含ハロゲン炭化水素類、リン酸又は亜リン酸エステル類、酸化アンチモンのような無機系化合物等の多くの種類のものが知られている。これらのうちでも、ABS、メタアクリル酸エステル系樹脂、ナイロン、ポリエステル等の熱可塑性樹脂の射出成形条件に耐え、かつ、成型物の難燃化に有効な添加剤としてはヘキサブロムベンゼン、ハロゲン化ビフエニル類等の多ハロゲン化芳香族化合物と三酸化アンチモン等の無機化合物の併用系が用いられている。しかし、二〇〇℃以上の温度条件にさらされる射出成形工程に耐えられる化合物は多くなく、前記のように多ハロゲン化芳香族化合物が用いられるのも芳香環置換ハロゲンが比較的安定であることによるが、燃焼時に有毒なハロゲン化水素ガスの発生が避けられず、また、廃棄物中に混入した場合には、その安定性のために分解することなく蓄積されて食品中に入り、公害の原因となるなどの問題点を有していたため、同様の難燃効果を有する非ハロゲン系化合物の開発が望まれていた。

本件発明者は、フェニレンサルファイド結合を分子中に含有する化合物で、融点一〇〇℃、好ましくは一二〇℃以上、熱分解温度二五〇℃以上、好ましくは二八〇℃以上、硫黄含有量一〇%以上の化合物が難燃性付与剤として極めて有効であることを見いだし、本件発明を完成したものである。フェニレンサルファイド結合を有する化合物が難燃剤として作用する機構の詳細は明らかではないが、サルファイド結合を形成している二価の硫黄原子が酸素と結合し、スルホキサイド、スルホン基となってより安定な化合物に変化する、すなわち、燃焼雰囲気の活性酸素を吸収して不活性化するものであり、酸化されて生成したポリフェニレンスルホン樹脂の高温での加熱分解により生成する難燃性物質がその含有組成物の自己消化性に寄与するものと考えられる。

本件発明で使用される前記のフェニレンサルファイド結合を有する化合物は、一般に公知の合成法で得られるものであり、融点、熱分解温度、硫黄含有量において、前記の各条件を満たすことが必要であり、その使用量は、難燃性が達成される量であればいかなる量であってもよいが、通常、組成物中七〇%以下が適するものである。

本件発明の難燃性組成物を得るに際しては、有機高分子化合物及びポリサルファイドを種々の公知の方法で混和すればよい。

そこで、以上を踏まえて、最初に、取消事由(2)について判断する。

二  取消事由(2)について

(一)  成立に争いのない甲第三号証(米国特許三三五四一二九号明細書、引用例一)によれば、以下の事実を認めることができる。

引用例一には、「本発明は芳香族化合物からの重合体の製造に関する。・・・本発明は少なくとも一つのポリハロ置換環状化合物とアルカリ金属サルファイドを極性有機化合物から反応媒体中で反応することによるアリーレンサルファイド重合体の製造に関するものである。」(訳文一頁五行ないし八行)、「本発明のもう一つの目的は耐高温特性をもった重合体の製造である。」(同一頁二九、三〇行)、「本発明の重合体は、高融点およびまたは耐高温性が所望されるあらゆる用途に用いられる。これらの重合体は充填剤、顔料安定剤、柔軟剤、展開剤および他の重合体をブレンドすることができる。グラファイト、カーボンブラック、チタニア、ガラス繊維、金属粉、マグネシア、アスベスト、クレイ、木粉、コットンフロック、アルファセルロース、雲母などのような充填剤を用いることができる。充填剤のより完全なリストが現代プラスチックス辞典(Modern Plastics Encyclopedia)四一巻、No.1a、一九六三年九月、五二九、五三六頁に開示されている。所望ならば、このような充填剤は重合反応器に添加することができる。これらの充填重合体は例えば融蝕性ノーズコーンなどの超高温用途に有効である。」(訳文七頁二七行ないし末行)との記載(以下「記載A」という。)があることが認められる。また、引用発明一の「実施例XXV」には、「重合相に増量剤を加える実験を行った。一実験において、NMP一リットルと硫化ナトリウム-9水加物七二〇・六gとの混合物を五二〇gの物質が除去されるまで蒸留した。この混合物をp-ジクロロベンゼン四四一gおよび黒鉛粉末一〇〇gと共にボンベに装填した。この混合物をその後振とう器上で四四〇で一七時間振とうした。その後、重合体を取り出し、水二リットルで五回、メタノール二リットルで一回洗った。乾燥重合体は一様に分散した黒鉛を含んでいた。乾燥段階で四八〇gを溜去することを除いて、この実験を繰り返した。黒鉛の代わりにp-ジクロロベンゼン四八五gと二硫化モリブデン三〇gを反応相に加えた。分散した二硫化モリブデンを含む重合体三四四gが回収された。」(訳文一六頁下から七行ないし一七頁三行)との記載(以下「記載B」という。)があることが認められる。

記載Aによれば、引用発明一は、芳香族化合物からの重合体、具体的にはフェニレンサルファイド重合体に代表されるアリーレンサルファイド重合体(「アリーレンサルファイド重合体」は、「ポリアリーレンサルファイド」と同義である。なお、アリーレンサルファイド重合体がフェニレンサルファイド重合体の上位概念であることは当事者間に争いがない。)の製造法に関するものであり、右重合体は高融点及び耐高温特性が所望されるあらゆる用途に使用可能であること、並びに右重合体は、グラファイト、カーボンブラック、チタニア、ガラス繊維、金属粉、マグネシア、アスベスト、クレイ、木粉、コットンフロック、アルファセルロース及び雲母などのような充填剤とのブレンドが可能であることがそれぞれ開示されているものということができる。そして、記載Bによれば、実施例XXVにおいては、NMP(N-メチルピロリドン、前掲甲第三号証訳文一三頁六行参照)中でp-ジクロロベンゼンと硫化ナトリウムとの反応生成物、すなわち、アリーレンサルファイドの一種であるポリパラフェニレンサルファイドを前記のような充填剤と混合して使用する例が示されていることが明らかである(p-ジクロロベンゼンと硫化ナトリウムが反応するとポリパラフェニレンサルファイドが生成することは当事者間に争いがない。)。他方、成立に争いのない甲第一〇号証(「ラバーダイジェスト」二三巻四号、昭和四六年四月一五日、ラバーダイジェスト社発行)には、「ポリフェニレンスルフィド」に関し、「結晶性の芳香族ポリマーであるポリフェニレンスルフィドは、パラ置換ベンゼン環とイオウ原子の反復した、均斉のとれた硬質のバックボーン連鎖を有する。・・・(図省略)・・・そして、この化学構造のために、ポリマーは高融点(二八八℃)をもち、耐薬品性、熱的安定性、耐炎性がすぐれている。このポリマーを一九〇~二〇四℃以下で溶かす溶剤は知られていない。その卓越した熱的安定性は、第八図に示す熱重量分析曲線によって明らかである。さらに、このポリマーはスチフネスが高く、高温下における物性の保持性の良いことで特色づけられ、そのための成形用コンパウンドのみならずコーティング用としても有望視されている。なお、ポリフェニレンスフィドは、現在、米国のフィリップス・ペトロリアム社からRytonという商標で市販されている。密度一・三四g/cm3流動性をもつ白色粉末である。」との記載(二七頁第三段九行ないし二八頁第一段七行)及び「熱重量分析曲線によって示したポリフェニレンスフィドの熱的安定性」と題する第八図(右二八頁第一段)が認められ、この記載及び右第八図によれば、高融点(二八八℃)をもち、耐薬品性、熱的安定性及び耐炎性を有し、熱分解温度は約五〇〇℃であるところのポリパラフェニレンサルファイドが開示されているということができる。そして、ポリパラフェニレンサルファイドの硫黄含有量についてみると、いずれも成立に争いのない甲第二七号証(東レ株式会社樹脂研究所主任研究員小林和彦作成の平成四年一二月二日付け報告書)及び同第二八号証(昭和二四年五月二五日共立出版株式会社発行、高木誠司著「定量分析の実験と計算」第一巻二三頁)によれば、右含有量はポリパラフェニレンサルファイドの化学構造式から計算可能であり、これによれば、約二九・六%であることが認められる。

以上によれば、本件特許出願前において、融点二八八℃、熱分解温度は約五〇〇℃、硫黄含有量は約二九・六パーセントであり、かつ熱的安定性及び耐炎性に優れた性質を有するところのポリパラフェニレンサルファイドの存在は当業者に周知の技術的事項であったことが、明らかである。

そうすると、ポリパラフェニレンサルファイドが前掲甲第二号証により認められる本件発明の特許請求の範囲に記載の分子中にフェニレンサルファイド結合を有する化合物に含まれることは明らかであるから、ポリパラフェニレンサルファイドに関する本件特許出願前に周知の前記の技術的事項に、引用例一に開示された前記の充填剤とのブレンドの可能性に関する技術的事項を勘案すると、本件発明が技術課題とする有機高分子化合物用の難燃剤の開発に際して、前記の特許請求の範囲に記載の本件発明の構成を採用することは、当業者が容易に想到し得たものということができる。

(二)  被告らは、引用例一に示されたポリアリーレンサルファイドは本件発明に係るポリフェニレンサルファイドよりも上位の概念であるから、右引用例には、本件発明の特定の条件を満たすフェニレンサルファイド結合を有する化合物は示されていないと主張する。

引用例一がアリーレンサルファイド重合体の製造法に関する発明であり、アリーレンサルファイドがフェニレンサルファイドの上位概念であることは、原告においても争わないところであるが、引用例一にポリパラフェニレンサルファイドが開示されていることは前記認定のとおりであり、ポリパラフェニレンサルファイドが本件発明の特許請求の範囲にいうところの分子中にフェニレンサルファイド結合を有する化合物に含まれることは前記のとおりであるところ、そのうちの甲第一〇号証に記載の融点二八八℃、熱分解温度は約五〇〇℃、硫黄含有量は約二九・六%である周知のポリパラフェニレンサルファイドが本件発明の特定の諸条件を充足するフェニレンサルファイド結合を有する化合物に含まれることは明らかなところであって、かかる甲第一〇号証に示された前記認定の周知の技術的事項を前提にして引用例一の記載をみると、同引用例には、本件発明の特定の諸条件を充足するフェニレンサルファイド結合を有する化合物とアルファセルロース等の各種充填剤とをブレンドすることが可能であることが開示されているということができるから、被告らの前記主張は採用できない。

被告らは、引用例一には、硫黄含有量について何ら具体的な記載はないと主張するので検討するに、確かに、引用例一に係る甲第三号証を精査しても硫黄含有量に言及した記載は認められないところであるが、硫黄含有量は、前記のとおり、約二九・六%であることは明らかである。

被告らは、引用例一の記載は、「これらのポリマーは、充填剤、顔料安定剤、柔軟剤、伸展剤及びその他のポリマーとブレンドすることができる。」との単なる混合の可能性を示すのみであるから、付加的な記載であり、例文的な記載と解するのが相当であると主張する。しかし、引用例一の右記載は、特段の事情がない限り、混合できることを示したものと解するのが相当であり、本件全証拠をみても、右記載を左右する証拠は示されていないから、被告らのこの点に関する主張は採用できない。

被告らは、本件発明における有機高分子化合物は、プラスチック素材として用いられる化合物であるから、本件特許請求の範囲にいう「セルロース類」はプラスチック素材として用いるセルロース類、例えばセルロイドやセルロースエステル等の合成物を意味するのに対し、引用例一の「アルファセルロース」は天然物質から抽出された状態のセルロースであって、そのままでは本件発明の前記有機高分子化合物には該当しないことは明らかであると主張する。そこで検討するに、前掲甲第二号証によれば、本件発明の特許請求の範囲には前記当事者間に争いのない本件発明の要旨と同様の記載があることが認められる。そして、この特許請求の範囲に記載された「セルロース類」の意義は一義的に明らかであるから、これを本件特許明細書の記載に基づき「合成物としてのセルロース類」に限定して解釈すべきであるとする被告らの主張は特許請求の範囲の解釈の在り方として相当ではないというべきであるから採用の限りではなく、成立に争いのない乙第四号証(昭和五七年一二月六日発行、財団法人日本規格協会編著「JIS工業用語大辞典六三三頁「セルロース」の項参照)によれば、「セルロース類」に引用例一の「アルファセルロース」が含まれることは明らかであるから、被告らのこの主張も失当である。

被告らは、前掲甲第一〇号証は本訴において新たに提出された公知文献であるから、これに基づいて本件発明の新規性ないし進歩性の欠如を主張することは許されないと主張するので、以下、検討する。成立に争いのない甲第一九号証(文部省学術国際局編「学術雑誌総合目録」和文編一九八五年版三一三七頁)及び弁論の全趣旨により成立の認められる甲第二五号証によれば、甲第一〇号証に係る昭和四六年四月号の「ラバーダイジェスト」の発行部数は一二〇〇〇部であり、相当数の大学の図書館等にも備えつけられていることが認められるところ、この発行部数及び備付状況に、甲第一〇号証に掲載の各種記事の内容を勘案すると、右雑誌は昭和四六年四月号の発行当時、本件特許発明に係る当業者の業界において、相当広い範囲で読まれていたいわゆる業界紙としての性格を有するものと推認することができるから、右雑誌のかかる頒布状況及び性格に照らすと、前記の時点において右雑誌に掲載された技術的事項は、当業者に周知の技術的事項になったものと評価することができる。そうすると、甲第一〇号証は、本訴において新たに提出されたものであるが、その提出の趣旨は、新たな公知文献としてではなく、昭和四六年当時の当業者間における技術常識を立証するためであるから、その提出が許されることはもとより当然のことであり、被告らのこの点に関する主張は採用できない。

また、被告らは、甲第一〇号証にはポリフェニレンサルファイドの難燃性の程度については全く記載がないから、ポリフェニレンサルファイドが難燃性樹脂組成物の添加剤といして有用な程度の難燃性を具えていることが右甲号証に記載されているとすることはできないと主張する。そこで、この点について検討する。まず、前掲甲第二号証によって本件発明における難燃性の概念についてみると、本件特許明細書には、本件発明のフェニレンサルファイド結合を有する化合物が難燃剤として作用する機構に関し、「・・・高温での加熱分解により生成せる難燃性物質がその含有組成物の自己消化性に寄与するものと考えられる。」(二頁右欄六行ないし八行)との記載があり、また、右甲号証には、本件発明の難燃度を実施例に即して検討するに当たり、「ASTM-D-635.63の方法に準じて難燃度を比較テストした。」(四頁左欄二九、三〇行)との記載が認められ、実施例に関して「自己消化性を示した。」(実施例1、3ないし5、7ないし14)、「自己消化性であった。」(同2)、「自己消化した。」(同6)との記載が認められるところ、成立に争いのない乙第六号証(「1964 BOOK OF ASTM STANDARDS With Related Material」Published by the AMERICAN SOCIETY FOR TESTING AND MATERIALS)によれば、アメリカ合衆国における硬質プラスチックスの耐炎性の標準試験法においては、試験片については、所定の燃焼試験において試験片が一回目、二回目の点火の後で一〇・二cmの印まで燃焼しなかった場合に、「本試験において自己消化性である」と判定されるとし(訳文四頁一〇行ないし一二行)、また、サンプルについては、一〇個の試験片のうち一個のみが燃焼し、一個以上が自己消化した場合には、サンプルは「本試験において自己消化性である」と判定されるとの記載(五頁六行ないし八行)があることが認められるところであるから、本件発明の実施例の難燃度は右基準によって判定されたものと認めることができる。しかしながら、右記載はあくまで実施例に関する記載であり、甲第二号証を精査しても、本件発明の特許請求の範囲に記載された「難燃性樹脂組成物」の「難燃性」の意義についてこれをアメリカ合衆国における前記の基準によるとする格別の記載のないことは、前掲甲第二号証の記載自体から明らかである。そうすると、前記の実施例に関する記載から本件発明の「難燃性」が前記の基準によって測定されたものに限定されると解することは困難といわざるを得ない。

そこで、前掲乙第四号証によれば、一般的な意義における「難燃性」とは、「炎に触れても燃えにくく、また着火した場合も炎をあげて燃焼を続けにくい性質をいう。」(八七一頁)ものと解されるところ、前記のとおり格別の限定のない本件においても、右の一般的な意義における「難燃性」を意味するものとして使用しているものと解するのが相当である。そこで、かかる観点から前掲甲第一〇号証の記載をみるに、前記認定のとおり、ポリパラフェニレンスルフィドは優れた耐炎性を有し、その融点は二八八℃、熱分解温度は約五〇〇℃であるというのであるから、これが右にいう「難燃性」を有することは明らかなところである。

したがって、この点に関する被告らの主張も採用できない。

さらに被告らは甲第一〇号証は、ポリフェニレンサルファイドと他の不燃ないし無機物質との混合物について記載した文献であり、この文献からポリフェニレンサルファイド自体の難燃性が周知であったとすることはできないと主張する。

確かに、前掲甲第一〇号証に示されたポリパラフェニレンサルファイドの混合物は被告ら主張のような無機ないし不燃物質との混合物であることが認められるが、右甲号証には、前記認定のように、高融点(二八八℃)をもち、耐薬品性、熱的安定性及び耐炎性を有するポリパラフェニレンサルファイド自体が開示されているところである上、かかる性質を有するポリパラフェニレンサルファイドを引用例一に記載のアルファセルロースに配合したときポリパラフェニレンサルファイドの右耐炎性が阻害されることを伺わせる証拠もないから、被告らの前記主張も採用できない。

(三)  以上によれば、本件発明は引用例一及び当業者間に周知の前記の技術的事項から容易に推考可能であるとする取消事由(2)は理由があるというべきであるから、その余の取消事由について検討するまでもなく、審決は違法として取消しを免れない。

第三  よって、本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濱崎浩一 裁判官 田中信義)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例